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2017.06
仙台シアターラボ公演『特別な芸術』
日程
2017年6月9日(金)~ 2017年6月11日(日) 会場
せんだい演劇工房10-BOX box-1
ピッコロシアター中ホール
SUBTERRANEAN
出演
山澤和幸 後藤史織 χ梨ライヒ 小出侑佳 野々下孝
構成・演出・選曲 野々下孝
原作 芥川龍之介
照明 神﨑祐輝(劇団 短距離弾道ミサイル)
音響 本儀拓(キーウィサウンドワークス)
舞台監督 山澤和幸
舞台美術 松浦良樹
衣装 後藤史織
小道具 小出侑佳 χ梨ライヒ
演出助手 澤野正樹
制作協力 佐々木一美
宣伝美術 菊地良博
フードデザイナー 佐藤亜里紗(boxes Inc.)
仙台シアターラボスタッフ 本田椋 飯沼由和 佐藤晃子 佐田美菜
【劇評】佐々木久善
演劇は役者のものだ。仙台シアターラボの『特別な芸術』を観て、そう思った。
「そんな当たり前のことを、何を今更…」と言う人もいるかと思うが、澤野正樹、本田椋、飯沼由和、佐田美奈といった仙台シアターラボを支えてきた役者を欠いた今回の公演は、野々下孝にとって、清水の舞台から飛び降りるような決意だったに違いない。前回の『継承者』に引き続き山澤和幸が出演するにしても、それ以外のメンバーは、仙台シアターラボに初めて出演する女優が三人である。これまでも仙台シアターラボは、新しい役者を取り込みながら、作品を作ってきた。しかし、それは常連のメンバーが基本的な部分を固めていることを前提としており、今回のように、常連の男優二人に新しい女優が三人という配役は、実験的で「新しさ」を感じさせるものだった。
「新しさ」ということでは、芥川龍之介の「小説」を題材としている点も、これまでとは違っている。前作『継承者』では、シェイクスピア『ハムレット』、その前の『魂が凍結する夜』はソフォクレス『オイディプス王』、前々作『幸福の果て』のカミュ『カリギュラ』と「戯曲」を基に作品を創ってきたが、今回は「小説」である。
「戯曲」と「小説」、何が違うのか?と考えると、「戯曲」は上演することで完結するものであるのに対し、「小説」は、それ自体で、既に完結しており、それを上演する場合には、分解と再構築が必要となる。その一手間こそが、この作品の「新しさ」につながっている。
以下で、この二つの「新しさ」から『特別な芸術』を考えてみたいと思う。
最初に仙台シアターラボに初参加の三人の女優である。
χ梨ライヒはTheatreGroup“OCT/PASS”出身、後藤史織は演劇集団ナトリウムサナトリウム出身、そして小出侑佳は高校の演劇部で活動し、今年、高校を卒業したばかり、という年齢も経験も異なる三人の女優が仙台シアターラボの舞台に立っている。プロデュース的な公演が普通になった昨今、それは特別なこととは思われないかもしれないが、仙台シアターラボのように、独自の様式を持つ集団に於いては、リスクの伴う実験となる。基礎的な訓練を含めて、共有すべきものが多く、その基礎をマスターして、初めて作品作りが始まるという創作手順は、そこに至る膨大な時間を必要とするが、基礎を共有した後は、それぞれの持つ多様性が作品作りへの強力な武器になる。
例えば「原作:芥川龍之介」という重い看板に対して、最初の場面のユーミンの替歌のインパクトは、この作品の持つ自由な雰囲気を象徴するものであったし、形態模写の短いエピソードで発揮されるそれぞれの個性は、「新しい」仙台シアターラボを感じさせるものだった。
この三人の参加によって「芥川龍之介」の持つ、古臭いイメージは払拭され、身近な存在として甦った。そして、この三人の自由を支えているものは、二人の、仙台シアターラボの手法を熟知した男優の力量であった。
演劇は役者のものだと思ったのは、そういうことなのだ。
その一方で、仙台シアターラボは、今作で小説を演劇にするという実験も行っている。小説を演劇にするということは、四次元を三次元にするようなものである。
『特別な芸術』は、芥川龍之介の『歯車』を原作にしているが、物語を描いている訳ではない。しかし、作家、妻、姉、義兄、姉の娘といった登場人物や「義兄の焼死」「ドッペルゲンガー」などの短いエピソードにその「世界」が色濃く反映されている。
演劇は、現在の芸術である。過去や未来を描き、語る場合でも、あくまで劇場で役者と観客が共有する「今」という時間の中で展開する。リアルな「今」の中に、変幻自在な時間を描くのが演劇なのだ。
仙台シアターラボは「構成演劇」という手法を使っている。これは、一般的な演劇が長編小説であるとすれば、短編集なのだろう。それぞれに独立した掌編を積み重ね、全体的な印象が形作られてゆく。そして、舞台美術及び衣装は、本の装丁である。「錆びる」イメージで統一された空間は、容赦のない時の侵蝕を、役者と同じくらいの雄弁さで語りかけてきた。
小説を演劇にする場合、「構成演劇」は、とても有効な手法であるに違いない。短編集のような構造には、観る者の想像力が入り込む隙間がたくさんある。つながっているようで、つながっていない。そんな曖昧さが、観る者それぞれの作品を生み出してゆく。