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2019.02
Fukushima Meets Miyagi Folklore Project #2『みちわたる』
日程 2019年2月23日(土)~ 2019.年2月24日(日) 会場 福島市 正眼寺 福島県福島市森合一盃森14 出演
野々下孝 佐藤隆太 鳥居裕美 那須大洋 乾優香里 渡邉悠生 宮本一輝
作・演出 大信ペリカン(シア・トリエ)
照明 麿由佳里(シア・トリエ)
衣装 サトウマナミ
制作 小田島達也
宣伝美術 A2C
製作 シア・トリエ/オフィス・トリキング
【劇評】佐々木久善
「ドキュメンタリー・シアター」という言葉がある。映画やテレビのドキュメンタリーと同じように、事実に基づく演劇作品という意味であるが、その手法には大きな幅がある。事件の当事者本人が登場して、自分の体験を語る、あるいは、再現するものから、事実に基づき構成された戯曲を演じるものまでが、この呼称を採用しており、あえて誤解を恐れずに要約してしまうと、事実について創作された演劇作品は、全て「ドキュメンタリー・シアター」ということができるのだろう。
その中でも有名な作品を挙げるとすれば、アメリカの演出家ピン・チョンによる社会問題を体験者本人へのインタビューをもとに構成されたシリーズ(『ガイジン〜もうひとつの東京物語』、『生きづらさを抱える人たちの物語』)や京都を拠点に活動する村川拓也の舞台上で当事者にインタビューを行う作品、そして、パキスタンで誘拐された大学生のその後の人生を描いたミナモザ『彼らの敵』(作・演出:瀬戸山美咲)が思い浮かぶが、これらの作品に共通することは、事実に基づいて創作されているということぐらいで、事実へのアプローチはそれぞれに異なっており、いったい「ドキュメンタリー」って何なんだ!と思ってしまうが、そもそも、映画やテレビのドキュメンタリーだって、作り手の視点によって、切り取るものが違っているということに思いが至る。
仙台シアターラボとシア・トリエの合同公演の第2弾は、1995年と2018年とが交錯する福島の物語である。実在の場所を取材して物語を構成しているが、物語自体に福島のその場所でなければならない必然性はない。しかし、実際の場所から出発したリアリティが全体を支配している。加えて、現実を土台にしているこそのファンタジーも豊かである。
冒頭の徒競走のスタートから始まって、ファミレスや国道4号線や電話ボックスやホテルや病院や三途の川…と次々と場面を変えてゆく展開の速さが印象的である。基本的に物語は、2018年を中心に展開するが、そこに時折、挿入される過去のエピソードや三途の川のような幻想的な場面が、ドラマに奥行きを与えている。
主人公の中年男を演じるのは、仙台シアターラボの野々下孝である。シアターラボの作品では具体的なキャラクターを演じることがほとんどないが、今回の若い女性に翻弄される役が実にはまっている。単純な役ではなく、現在と過去、現実とファンタジーを行き来する難しい設定を、ストラディバリウスのように伸び伸びと演じている。
それに対峙するのは、福島側の俳優3人である。
まず、シアトリエの佐藤隆太。主人公の亡くなった友人を演じているが、肉体の存在感の強い役者である。この人を、過去やファンタジーに配置することで、リアルではないもののリアリティが強く感じられて、現在や現実が、逆に浮かび上がっていた。
次に乾優香里。ファミレスのウエイトレスを演じているが、印象的な衣装とメイクで、女性の捉えどころのなさを大胆に表現した。時に可憐で、時に小悪魔のような女性の様々な側面を、矛盾を矛盾のままに、そのままに演じた思い切りの良さが印象的である。
最後に、捨組の鳥居裕美。捨組の、とは書いたが、シアトリエの常連である。乾優香里と対になり、女性の包容的な部分を演じた。過去と現在、ファンタジーと現実を行き来しながらも、どちらでもリアリティを保ち続ける存在感のある演技だった。
彼ら3人の周りを、固めていたのが、仙台シアターラボの宮本一輝、渡邉悠生と劇団120○ENの那須大洋によるコロスである。先に「次々と場面を変えてゆく展開の速さが印象的」と書いたが、この展開の速さを支えていたのが、この3人である。冒頭のランナーから始まり、布や箱を使った単純な装置にまで命を吹き込んでいたのは、この3人の連携に他ならない。また、三途の川の船頭や公衆電話ボックスを並べる場面など、コロスに留まらない印象的な役割も担っていた。前述した4人の役者がメロディとすれば、この3人は和声のようにメロディを支えていたと思う。
さて、ここまで述べてきた7人の役者を動かしたのが、作・演出の大信ペリカン(シアトリエ)である。シアトリエ(旧・劇団満塁鳥王一座)の作品は、様々に変遷している。初期のテントで上演された「静かな演劇」の影響を受けた作品から、ギリシア悲劇を基にした作品、宮澤賢治を基にした作品、東日本大震災後のニュースを素材にした作品等、劇作家としても、演出家としても、カメレオンのように変化を恐れない活躍を続けている。今回の作品でも、構成演劇を上演する仙台シアターラボとの合同公演にも関わらず、明確な物語のある作品に構成した。前作の「SAKURA NO SONO」の延長にあるプロジェクトとしては、大胆な構想である。それでも、次々と場面を展開し、現在と過去、現実とファンタジーを並行して描く大胆さは、このプロジェクトならではの成果であると思われた。
以上、述べてきた作品の全てが、福島でのフィールドワークから始まっているということが、最初に記した「ドキュメンタリー・シアター」とつながってくる。「どんな鳥も想像力より高く飛べる鳥はいない。人間に与えられた能力のなかで、一番素晴らしいものは想像力である。」という寺山修司の言葉があるが、ドキュメンタリーに大切なものは「想像力」であるということが、よくわかる作品だ。福島の夜を彷徨った中年男は実在しないのかもしれない。しかし、福島の夜をリサーチしたメンバーの想像力の中に、その男は確実に立ち上がったということを感じることができる作品になっていたと言える。つまり、これも「ドキュメンタリー・シアター」の一つの形であると心に迫った作品だった。