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2022.10
仙台シアターラボ公演『溶け合う世界』
日程 2022年10月1日(土)〜2022年10月2日(日) 会場 仙台市市民活動サポートセンター 市民活動シアター 出演
野々下孝 戸田悠景 丹野貴斗 宮本一輝 渋谷颯飛(劇団かげろう) 若生彩子(ナターシャ・プレシコフ)
構成・演出 野々下孝
照明 山澤和幸
音響 本儀拓(キーウィサウンドワークス)
音響操作 島田裕充(Studio-SOLA)
舞台監督 宮本一輝
宣伝美術 岸本昌也
撮影 渡邉悠生
受付 前田成貴 鈴木大典 大村もも香
【劇評】鈴鴨久善
安倍晋三元首相の暗殺以後、旧統一協会信者の二世問題がクローズアップされている。しかし、これは、何も旧統一協会だけの問題ではなく、あらゆる宗教、いやもっと広く考えれば「イエ」の問題でもあるだろう。ここで私が「イエ」と言っているのは、家業や家風を含めた、個人を取り巻く家庭環境のことだ。
チェーホフの「かもめ」は、「イエ」に馴染めず、その呪縛から逃れようと足掻く人間の姿が痛々しく描かれる戯曲だ。その「足掻き」は、時には切実で、時に滑稽でさえある。そんな当事者の必死さを、作者であるチェーホフは、寄り添うでもなく、突き放すでもなく、ただただ淡々と描いている。その筆致は、実験室で対象を観察する研究者のようだ。
仙台シアターラボの「溶け合う世界」は、「かもめ」が終わったところから始まる。「かもめを鑑賞する会」でチェーホフの「かもめ」とは何か?をまとめた後、使用人ヤーコフのトレープレフを殺したという奇妙な告白に続いている。
ヤーコフはトレープレフを殺したのか?これは大いなる設問だ。私は、リアルな行為として「殺した」のではなく、トレープレフが象徴する上流階級をヤーコフたちプロレタリアートが革命で放逐したことの比喩だと思っている。しかし、そのヤーコフでさえ、この場から逃走する。つまり、ロシア帝国→ソビエト連邦→ロシアという歴史の先に、この芝居は続いているということなのだ。
芝居は常に「いま」だ。チェーホフの「かもめ」という物差しを置いて、現代を測っているのが、この芝居なのだ。
そして続く、指に紐を付けられたピアノの稽古のシーンで、私は個人を圧殺する「イエ」の同調圧力を感じた。そして同時に、冒頭で触れた信者の二世問題も感じたのだ。この夏、毒親という言葉がマスコミを賑わしたが、客観的に、冷静に見れば、虐待と思われる行為でも、それを行う本人の意識としては、愛情の表現ということが、間々ある。テレビで、いかにも美談のように放送されている伝統芸能の「イエ」の「親=師匠」という構図の凄まじさは、芸の伝承に名を借りた個人の圧殺だ。個人の前に芸があり、「イエ」があるということなのだ。そういう美談を作り出そうとする「イエ」という怪物がこの芝居の主人公なのだ。
父と息子のキャッチボールもそうだ。指導という名の虐待が、あらゆる家庭に蔓延っている奇妙な社会。しかし、私たちが、それをよくある日常の風景と見てしまうことに、私たちの病理があるのだ。
つけ足したように挿入された「ヒーローショー・精神戦士カウンセリンガー」。この場面にこそ、この作品の本当のテーマが描かれている。何処も彼処も個人を圧殺するこの世界で、生き残るためには、カウンセリングが必要だ。そんな当たり前のことを普通に言えない。日本政府を「心の闇の集合体」と言い切るために、ギャグで包まなければならないということが、何よりも悲しいのだ。
本を読むことが、救いになるのは、自分以外の言葉を取り入れることで、自分を客観的に捉えることができるからだ。
芝居の終盤、登場人物たちは、チェーホフの「かもめ」の言葉と出会い、そこに救いを見出してゆく。百年前のロシア帝国と現代の日本、時代も場所も大きく隔たっている二つの世界が、言葉で一つにつながってゆく。そのダイナミズムこそが、演劇を観るということなのだと確信した。
全体の構成として、これまでの作品と比べて、テーマと場面とに、統一性が感じられた。現代日本の病理を描くこととチェーホフの言葉とは、親和性があったということなのだろう。まさに、題名の通り「溶け合う世界」だった。