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2021.10
Fukushima Meets Miyagi Folklore Project #5『禍の光』
日程 2021年10月30日(土)〜 2021年10月31日(日) 会場 せんだい演劇工房10-BOX box-1 出演
野々下孝 渡邉悠生 宮本一輝 松本美咲 犬飼和 大村もも香
照明 山澤和幸
音響 山口裕次
宣伝美術 三月文庫
映像撮影 (有)スカイモーションピクチャーズ
受付 前田成貴 丹野貴斗 鈴木大典
制作 宮本一輝
【劇評】鈴鴨久
これは、ソフォクレス作『アンティゴネ』を二十世紀ドイツの劇作家・ベルトルト・ブレヒトが改作した『アンティゴネ』を原作として、野々下孝がテキストを書き、構成・演出した演劇作品である。しかし、物語は『アンティゴネ』を、そのままではなく、それに触発されたと思われる全く別の物語が展開する。
野々下による「鑑賞のしおり」に「粗筋」として、「大学の生物学研究室では(中略)人間を作るプロジェクトが進行している」と全く関係のないような物語が記されている。
実際、この芝居は大学の研究室が主な舞台である。しかし、一般的にはソフォクレス作とされている『アンティゴネ』を、ブレヒト改作が原作と明記するからには、相応の意図があるはずである。しかも、全体を全く異なる物語に再構成するに至っては、様々な深読みが可能であると思われる。
断続的に挿入される『アンティゴネ』の場面は、王・クレオンが戦場から帰還し、アンティゴネの上の兄の葬儀を許し、下の兄の葬儀を禁じる宣言をする場面から始まって、アンティゴネが次兄の遺体に砂を掛けて、埋葬したことで、クレオンと争う場面、アンティゴネの行為をめぐってクレオンがその息子・ハイモンと争う場面、アンティゴネと妹・イスメネが次兄の埋葬をめぐり言い争う場面、そして、アンティゴネが死んだことで、ハイモンが自殺し、クレオンが嘆く場面と続いている。ほぼ原作の物語に沿っているが、アンティゴネとイスメネが言い争う場面は、原作では、プロローグに続く場面なので、配置が逆転している。
この逆転した場面こそ、ソフォクレスとブレヒトとが異なっている箇所だ。ソフォクレス版では、アンティゴネの二人の兄は、敵味方に分かれ、お互い争って死んでいるが、ブレヒト版は、長兄の戦死で戦意を喪失した次兄は、戦線離脱の罪で処刑されたことに改変されている。
前説で女性が「大変な中、お越しいただきましてありがとうございます。」と言う。ここで言及される「大変な中」とは、コロナ禍ということなのだろうが、暗に『アンティゴネ』の背景である戦時下をも意味しているのだろう。次々と人が死に、国が滅びるかもしれない時に、大学の研究室では、人間を作る研究をしているという皮肉が、新たに加えられた物語の意図なのかもしれない。
ブレヒトがソフォクレスに対して行ったことを、野々下はブレヒトに対して行っているように思われる。ギリシア悲劇を二十世紀の、しかも第二次世界大戦を終えたばかりのヨーロッパに蘇らせるために、ブレヒトは、戦争の記憶を憑代にしている。同様に、野々下は、コロナ禍を憑代に、東日本大地震からコロナ禍に至る我々の生活の中に、ギリシア悲劇を蘇らせている。
生命に対して、不遜な教授・奥寺は「完璧な人間を、造ろうと思ってる。(中略)天地創造だよ。」と言い放つ。死んだ人の部屋からいろいろな物を持ち出す場面。人をビニールに閉じ込める場面…
これは、現代の地獄巡りの物語に他ならないのだと思う。
その物語に対して、客席を通常よりも1メートル程度、高く設置して、俯瞰的に見る視点を設定しているのも、この作品の特徴だ。俯瞰的に見ることによって、普通であれば、取るに足らないような人間の営みが、愛しく思えてしまうから、不思議である。観客の視点を演出するという斬新な手法の成功例だと思う。
2018年から2021年までの四年間、続けてきたこのFukushima Meets Miyagi Folklore Projectは、今回で終了となるらしい。隣県とはいえ、80キロの距離を、お互いに行き来して、五つの作品を産み出してきた成果は、今後、それぞれの劇団での作品作りに活かされていくのだろう。その跳躍を楽しみにしている。