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2025.08
仙台シアターラボ公演『るつぼ』

日程 2025年8月23日(土)~2025年8月24日(日) 会場 せんだい演劇工房10-BOX box-1 出演
野々下孝 安達実成 佐藤舞織 山川真衣 山川陽太郎 有馬ハルヒ 伊藤広重 戸石みつる
「誰にもあなたを裁かせてはいけない」
トニー賞受賞作家アーサー・ミラーが描く、人間の尊厳を問う20世紀の傑作
17世紀末に起きたセイラム魔女裁判を題材に、言論弾圧や人権侵害への警鐘を鳴らす
舞台は1692年、アメリカ・マサチューセッツ州セイラム。農夫プロクターは召使いの少女アビゲイルと不倫関係を持ってしまう。ある晩、戒律で禁じられた魔術的な踊りを踊った少女たちの一人が原因不明の昏睡状態に。悪魔の呪いが疑われる中、アビゲイルはプロクターの妻エリザベスを魔女と告発する。悪魔憑きの恐怖や常日頃の相互不信と相まって、村には魔女狩りの嵐が吹き荒れる。正義が揺らぎ、無実のひとびとが次々と逮捕、処刑されていく中でアビゲイルらは聖女として扱われていく。
戯曲の物語を活かした「物語る演劇」シリーズ第二弾は、現代社会の苦さや複雑さから目を逸らさず、絶望する人々に希望を灯すアメリカ近代劇の代表作。
原作 アーサー・ミラー「るつぼ」
構成・演出 野々下孝
舞台監督・照明 山澤和幸(チェルノゼム)
音響 山口裕次(Sound Kitchen)
舞台美術 松浦良樹(MICHInoX)
小道具 高橋舞(趣味屋こめたろう.)
宣伝美術 岸本昌也
宣伝写真・舞台撮影 春田さく(仙台映画制作ZERO)
楽曲提供 RYOTA
受付 前田成貴 渋谷颯飛(劇団かげろう) 大畑志帆 佐藤順子
制作 安達実成
主催・製作 仙台シアターラボ
助成 (公財)仙台市市民文化事業団 (公財)宮城県文化振興財団
【劇評】鈴鴨久善
令和7年(西暦2025年)7月20日執行の第27回参議院議員通常選挙は、我が国の深い分断を露呈させた。政権政党である自由民主党や公明党のみならず、野党第一党の立憲民主党や歴史ある共産党もが議席を減らした一方、新興勢力である参政党が多くの議席を獲得した。誰もが歴史の分岐点に立ち会っているという感覚を持つと同時に自分自身が理解し得ない「分断」が身近にあることを知った。
この戯曲は、1953年1月にアメリカ合衆国ニューヨーク市で初演されているが、物語は1692年のアメリカ、マサチューセッツ州セイラムを描いている。つまり、当時としても、相当な時代劇である。しかし、初演当時、この時代劇は1950年代にアメリカ合衆国で吹き荒れた反共産主義運動の寓話劇であると見なされていた。
反共産主義運動とは何か?一般的に「赤狩り」として知られているが、映画界で例を挙げれば、下院の特別委員会への協力を拒否した映画関係者10人が有罪判決を受け、業界から追放される一方で、告発者として協力して業界に残る者もおり、分断の時代を象徴する事件である。
その戯曲を、今、上演する意味とは何だろう? 最初に記したように、先に執行された選挙は、我が日本社会の分断を目に見える姿で提示した。しかし、この分断は、先のコロナ禍、あるいは、もっと遡れば、就職氷河期から非正規雇用が常態化していった時代に萌芽を見ることができるだろう。
仙台シアターラボは、構成演劇の手法で知られる演劇集団である。戯曲を解体し、そのエッセンスを組み合わせて作品を構成する。そんな手法である。だから、物語とか具体的な筋書きとは無縁だった。しかし、昨年の「セールスマンの死」から始まった「物語る演劇」(シリーズ)は、戯曲の物語性を活かし、そこに構成演劇の手法で鍛え上げた俳優の身体性を重ねることで、演劇の新たな可能性を開こうとするものである。
しかし、今回の上演は、戯曲の持つ物語と寓意性の力技に押し切られている感じがする。そして、それは、そんなに悪いことでもないように思われるのである。何故なら、この「るつぼ」という戯曲が、この時期に仙台で上演される、それだけでも大きな意義のあることと思われるからである。
舞台を中心に、客席を左右の二方向に配置した構成は、従来のプロセニアムステージにはなかった、舞台の向こう側に、もう一方の客席が見えるという異化効果により、物語の寓意性が強調された。また、居間、寝室、裁判所とシーンが変わっても、そこを見つめる観客が舞台の向こうに見えてしまうことで、これが芝居であるという認識が呼び覚まされる。自分にとっての物語とは何か?ということを常に認識させられるのだ。
また、本来、男性であるヘイル牧師を女性である伊藤広重さんが演じることで、パリス牧師とダンフォース副知事という融通の効かない男性が事態を悪化させるのに対して、次第に真実に気づき、解決の方向を模索するのは「女性」という対立軸も感じられた。もちろん、アビゲイル、メアリ、ベティという3人の女の子は、魔女裁判の震源地としての責任はあるのだが、元々、この共同体に内在する分断した人間関係を、自分たちの保身のためとはいえ、表面化させてしまった「功績」があると考えることも可能なのだろう。何よりも、彼女たちは、この魔女裁判の土地を出奔することで、この物語から自由に羽ばたいてしまうのだから。
一方、大団円で、妻に説得されて死刑を回避する手段を受け入れるジョン・プロクターは、ダンフォース副知事の杓子定規な采配により、再び死刑を選んでしまう。男性の融通の効かなさが事態を悪い方へ進ませてしまうという構図が完結して、物語は決着する。
「物語る演劇」の魅力は、時として戯曲世界をはみ出すキャラクターの反乱だと思う。昨年の「セールスマンの死」では、役者と登場人物とが等身大に相互に浸透しているのが魅力的だった。しかし、今回の「るつぼ」は、個々のキャラクターよりも、登場人物相互の関係性を丁寧に描くことに力点を置いているように思われた。私は、それを「物語る演劇」の後退ではないか?と考えてしまったが、よく考えると、これも「物語る演劇」の一つの方向ではないか?と思われた。戯曲のテーマに合わせて、手法を修正していく柔軟さこそが「物語る演劇」という挑戦なのだと思う。
確かに、「るつぼ」は、300年以上も昔の話である。しかし、確執、分断、保身、正義‥、そんな時代を超えた人類の営みを、これでもかと詰め込んだ縮図なのである。丁寧に描かれた人間関係のタペストリーに、2025年の夏が重なっていた。演劇の同時代性に溢れた作品であった。