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2024.09
仙台シアターラボ公演『セールスマンの死』
日程 2024年9月14日(土)~2024年9月15日(日) 会場 せんだい演劇工房10-BOX box-1 出演
野々下孝 丹野貴斗 塚本翔太 安達実成 佐藤舞織 高橋ナオミ 白川櫻乃 キサラカツユキ
アメリカンドリームの残骸を描き、ピューリッツァー賞を受賞した近代演劇の金字塔
舞台は夢のような感じが漂う、1950年代アメリカ。
老セールスマンのウイリー・ローマンは、かつての精彩を欠き、二世の社長からは厄介者として扱われている。妻のリンダは夫を献身的に支えているが、大人になっても自立できない2人の息子達との間には深い溝ができている。手にしたの思った夢は脆く崩れ、絶望したウイリーは家族のためにある決断を下す。
近代演劇の物語を活かした「物語る演劇」シリーズ第一弾。
原作 アーサー・ミラー 「セールスマンの死」
構成・演出 野々下孝
照明/舞台監督 山澤和幸
音響 山口裕次(Sound Kitchen)
舞台美術 松浦良樹
小道具 高橋舞(趣味屋こめたろう。)
宣伝美術 岸本昌也
宣伝写真・舞台撮影 春田さく (仙台映画製作ZERO)
受付 前田成貴 大村もも香 渋谷颯飛(劇団かげろう)
制作 安達実成
主催・製作 仙台シアターラボ
助成 (公財)仙台市市民文化事業団 / (公財)宮城県文化振興財団
【劇評】鈴鴨久善
嫌なものを観た。傲慢だったり、怒りっぽかったり、家族と上手くいかなかったり…。全てが自分の身に起こっているように感じる。これまでの仙台シアターラボの作品であれば、物語の世界に様々なショートストーリーが挿入され、それがクッションのような役割を果たして、物語の世界観にどっぷり浸かることを妨げ、私たちと物語世界との相対化が図られており、それがシアラボのスタイルだと思っていた。しかし、今回の作品は、ストレートに物語の世界に没入している。それが「語る演劇」という、新たな創作スタイルだという。何が変わったのだろう。ここで、野々下孝がパンフレットに書いた言葉を引用する。【仙台シアターラボの作品は構成演劇という手法で上演されてきました。「ストーリーや台詞に頼らず俳優達がゼロから創りあげたシーンを、抽象的な関連性によって連鎖させ、ある印象を作りだす演劇」それが構成演劇です。構成演劇において俳優は、作家であり、演出家であり、全体であるといえます。ただし、今作は構成演劇ではなく「物語る演劇」というスタイルで上演されます。構成演劇で培った演出方法を使い、原作のストーリーを最大限に活かしながら、その俳優にしか出せない魅力=個性を発見し、活かす創作。その創作スタイルで創られた作品を「物語る演劇」と名付けました。】ここで重要なことは、これまで探求してきた「構成演劇」の成果の上に「物語る演劇」を位置づけていることだ。一見すると、「構成演劇」という先鋭的な手法を駆使してきた仙台シアターラボにとって、「物語る演劇」への転向は後退ではないかと思われる。しかし、禁じ手というものは、欲求を増進させるもので、役を演じるという行為が、役に自分を投影するという、全く逆のプロセスから成立しているように思われる。例えば、主人公・ウィリーを演じる野々下孝は、2024年9月15日の野々下孝であり、自分自身の老いとか、苛立ちをそのまま役に投影しているように見える。確かに、全体を見渡せば「セールスマンの死」なのだが、舞台に現れているのは、20世紀半ばのアメリカではなく、2024年9月15日の日本の仙台である。アメリカ合衆国は大統領選挙のドタバタ劇の真最中、日本でも政権与党の自由民主党と野党第一党の立憲民主党が、共に代表の選挙を行い、何かが変わる?何も変わらない?という期待とあきらめが入り混じった空気を醸し出している。その空気感と役者自身の投影こそが、シアラボが目指す「物語る演劇」なのではないだろうか。それは、戯曲を役者が立体化するのではなく、戯曲という枠組みを借りて、「作家であり、演出家であり、全体である」俳優を展開してゆく作業なのだろう。シアラボのメンバーである丹野貴斗が、人生の絶頂とどん底を経験するウィリーの息子・ビルを、若さとか野心とか、絶望感をリアルな身体性で表現していた。また、同じくメンバーの安達実成が、妻・リンダの動きの少ない控えめなキャラクターを、包容力のある表現で描いていた。特筆すべきは、客演のキサラカツユキが演じた伯父ベン(ウィリーの兄)だろう。おそらく実際にはそこに存在していない人物なのに、深く深くウィリーの精神に語りかけてくる表現が、バーチャル世界のようで、その異次元感覚が、シアラボのメンバーの誰よりもシアラボ的であった。また、二階に息子たちの寝室、一階にリビングを配置した立体的ではあるが、装飾を排し、トロフィー以外が目立たないシンプルなセットが観る者の想像力を刺激し、繊細に変化する照明と音響が、リアルとリアルの間にある陥穽を垣間見させてくれていた。総合的に考えて、仙台シアターラボは、新たな次元に到達した。以前の「構成演劇」の成果を超えて、より身近で、よりリアルで、より同時代的な演劇の冒険が続いていくことを期待する。